幸せになるための消費とは?
今年2025年に、「消費社会論」の権威であられる社会学者の間々田孝夫先生が、「幸福のための消費学」を出版されました。私の理解では、間々田先生はミクロ社会学的観点から、消費行動を目的別に3つに分類しておられました。
1.生存するための消費行動
これは、量があるほど良いという価値観で、本文の「第一の消費文化」に相当します。ただし価値を生む消費量には上限があり、「必要量」以上は価値がありません。これは、生存欲求が生む消費行動と言えます。
日常の食料品や着物、住居などの消費が、これに相当します。
2.虚栄心を満たすための消費行動
これは、消費物が高価に見えるほど良いという価値観で、本文の「第二の消費文化」に相当します。富裕層を模倣して、他者に見せつけるための消費です。価値を生む消費量には上限がなく、永遠に続くという特徴があります。
例えば、昔のフィリピンのマルコス大統領のイメルダ夫人は、高級靴三千足を集めていたというのは有名です。自分のことを実際よりも良く見られたい、との欲求が生む、消費行動です。
3.自分を豊かにするための消費行動
これは、自分が充実感を感じるほど良い、という価値観です。本文の「第三の消費文化」の「文化的消費」に相当します。これは、ミニマリストの価値観に一致します。生活を自分らしくもっと充実させたい、との欲求が生む消費行動です。
自分の気に入った椅子を買って長く愛用する、お気に入りの俳優が出演する宝塚歌劇には必ず見に行く、などです。
間々田先生は、上の3(文化的消費)が、社会に害を与えないような消費となるような消費文化を、マクロ社会学的観点から、「幸福のための消費」と呼ばれています。これを個人レベルに落として言えば、上の3(文化的消費)の消費行動が、「幸福のための消費」と言えるようです。
幸福について考える際には、経営学でなされる「モノ消費」「イミ消費」といった消費対象に基づいた分類よりも、間々田先生の分類が役に立つように思いました。自分が周囲の人の消費行動に感じていた違和感が、すっと言語化されたと感じました。
やみくもに量を求めるのではなく、人に見せつけるための消費でもない、自分が満足して充実できる自分らしい消費。そんな消費を自分にも人にも勧めたいと思います。
明日の日曜は、ひとりでぼんやり琵琶湖を眺める、そんな贅沢な時間を消費する1日を過ごそうかな。
